主の再来に関しては、主イエスの預言に従うべきで、それが主を待つ妥当な方法だと思います。今の聖句は誰の言葉ですか?主ですか?人間の言葉ですか?「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、」とは誰が言ったのです?主イエスの御言葉ですか?
解答: 私達も、パウロのような使徒の言葉を神の言葉だと、以前は考えていました。パウロの言葉をもとに、主のために働いていました。さらに、主のお戻りに関しても、パウロの言葉に従っていました。しかし主の言葉を無視しています。問題ではありませんか?信者としては、神の言葉に従いますか?それとも人の言葉?
イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了しただけで、人の贖罪のためのささげものとなり、人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかった。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく......
人類がサタンによって堕落させられた時、神は人類救済の経営計画を開始した。神は人類を救うために3段階の働きを実行した。律法の時代にヤーウェ神は律法を発布し、人類の生活を導き、人々に神を崇拝することを教え、罪が何であるか教えた。しかし、律法の時代の最終段階が来ると、人類の堕落はいっそう深刻になり
神が万物を造ったのだから、全ての被造物が神の支配の下に帰し、神の権威の下に従うようにする。また神は万物を采配し、万事が神の手の中にあるようにする。動物、植物、人類、山や川、湖を含む、あらゆる被造物が神の権威の下に帰さなくてはならない。天の万物と地上の万物が神の権威の下に帰さねばならない。
主イエスキリストのみが真理であり、道であり、命であることは皆さんがご存じのとおりです。なので天国に入るには最終的には主イエスの言葉に基づいた方法になるのです。パウロは福音を伝えるただの使徒でした、主を代弁することはできません。主イエスはそのようには証されなかったので、パウロが歩んでいた道は必ずしも
神の声を聞くのに、人としての資質や経験の長さは関係ありません。信仰において、主イエスの言葉を聞いた時どう感じるでしょう?主の言葉について経験も認識もないのに、聞いた瞬間に、それは真理であると感じて、権威と力があると分かるでしょう。その感覚というのは経験から来るものでしょうか?霊感と直感から来るのです