真理は定式的なものでも、規則でもない。真理は死んだものではなく、いのちであり、生きているものであり、被造物が従うべき法則であり、人生に必要とされる法則である。真理は、経験によって一層深く理解する必要があるものである。自分の経験がどの程度に達しているかを問わず、あなたは神の言葉や真理と離別不可能であり、神の性質や神の中にある物事や神の存在に関して得た認識は、すべて神の言葉に明示されている。すなわち神の言葉と真理の間には、不可分な繋がりがある。神の性質と神の中にある物事や神の存在それ自体が真理であり、すなわち真理とは、神の性質や神の中にある物事、そして神の存在の真の顕現である。神の中にある物事や神の存在は真理により具体的なものとなり、明示的に述べられる。神が好む物事、神が好まない物事、神が望むあなたの行動、神が許さないあなたの行動、神が蔑む人々、神が喜ぶ人々が、真理により一層率直に述べられる。神が明示する真理の背景では、神の喜び、怒り、悲しみ、幸福、そして神の本質を理解することができる。これが神の性質の啓示である。
聖霊の働きは積極的な進歩だが、一方でサタンの働きは後退、消極、反逆、神への反抗、神に対する信仰の喪失、そして賛美歌を歌うことさえ望まず、本分を尽くせなくなるほど弱ることである。聖霊の啓きから生じるものはどれも極めて自然であり、あなたに強制されるものではない。それに従えば安息を得るし、従わなければ後に非難される。聖霊の啓きがあれば、あなたが行なう一切のことは干渉や拘束を受けず、あなたは自由にされ、行動における実践の道があり、何の制約も受けることなく、神の旨にそって行動できるようになる。サタンの働きは多くの事柄においてあなたに干渉し、あなたが祈りたくないようにさせ、神の言葉を飲み食いできないほど怠惰にさせるとともに、教会生活を送る気をなくさせ、あなたを霊的生活から引き離す。聖霊の働きはあなたの日常生活に干渉せず、正常な霊的生活にも干渉しない。多くの事柄について、あなたはそれが生じたまさにその瞬間には識別することができないものの、数日後には心がより明るく、頭脳がより鮮明になる。
キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(4)天国は地上にあるのでしょうか、それとも天にあるのでしょうか
主を信じる者の多くは、天国は天にあると信じています。本当にそうなのでしょうか?主のお祈りの中で、「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書 6:9~10)ヨハネの黙示録には、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。」(ヨハネの黙示録11:15)「また、聖なる都、新しいエルサレムが…神のもとを出て、天から下って来るのを見た。…神の幕屋が人と共にあり」(ヨハネの黙示録 21:2~3)とあります。天国は地上ですか、それとも天にあるのですか?
キリスト教賛美歌「神は栄光と共に世界の東に現れた」歌詞付き
神は全宇宙で業を為している
東で絶えず轟く音が全ての宗派と教派を揺さぶっている
神の声は皆を導き征服し
彼らはこの流れに落ち 神に従う
神は昔 地で栄光を取り戻し
東からそれを再び放った
それを見たいと望まないのは誰か
熱心に神の帰りを待たず
神の再来を渇望せず
その素晴らしさを恋慕わないのは誰か
光に来ず カナンの富を見ない者は誰か
贖い主が戻って来るのを切望せず
全能の神を讃えないのは誰か
神の声は全地に広まるべきだ
選民への神の言葉は更にある
山河を震わす雷のように
神は宇宙と人類全てに語り
その言葉は皆に愛される宝となる
稲妻が東から西へ真直ぐ走る
皆神の言葉を手放したくない
それは計り知れず、喜びをもたらす
生まれたての乳飲み子のように
喜び神の到来を祝う
神の声が人を神の前に惹きつける
今後神は正式に人の間に入る
皆が神を礼拝し
栄光と言葉ゆえ
神の前で東に光る稲妻を見る