正常な人間性にはどのような側面が含まれているのか。識見、理知、良心、品格である。これらの側面それぞれについて正常性を達成できるならば、人間性は基準に達する。あなたは正常な人間の姿を備え、神を信仰する者らしく見えるべきである。過度な達成をしなくてもよく、外交に関わる必要はなく、ただ正常な人間の理知を備え、物事を見通すことのできる正常な人間であるべきであり、少なくとも正常な人間のように見えなければならない。それで十分である。現在あなたに要求されていることはすべてあなたの能力の範囲内である。これはアヒルを止まり木に登らせようとしているのではない。あなたに無駄な言葉や働きが述べられ、行われることはない。あなたの生活において表され明らかにされる醜悪さはすべて排除しなければならない。あなたがたはサタンに堕落させられ、サタンの毒に満ちている。あなたに求められているのは、その堕落したサタン的性質を捨て去ることだけである。高地位にある人物や有名人や偉人になることは求められていない。それは役に立たない。
ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない。つまり、神の本質には、闇や邪悪が一切含まれていない。神はニネベの人々の悪の行いが神の目に留まったため、ニネベの人々に対して怒ったが、この時、神の怒りは神の本質に由来するものであった。しかし、神の怒りが消え、ニネベの人々に再び寛容さが与えられた時に神が明示したのも、神自身の本質であった。この変化は、すべて人間の神に対する姿勢の変化に起因するものであった。この変化の間、侵害を許さない神の性質も、神の寛容な本質も、神の愛と憐れみに満ちた本質も変わることが無かった。人々が邪悪な行動を取ったり、神を侵害したりした場合、神はその人々に神の怒りを伝える。人々が真に悔い改めた場合、神の心は変化し、神の怒りは静まる。
「以下はそれに対する事実である、地がまだ存在していなかったとき、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。大天使は、天国のすべての天使に対する権限を握っていた。それは神から大天使に与えられた権威だった。神を除いて、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。神が後に人間を創造したとき、大天使は地上において神に向けて大きな裏切りを行った。大天使は、人間を支配し、神の権威を超越したかったため、神を裏切ったとわたしは言うのである。エバを誘惑して罪に陥れたのは大天使だった。大天使が神を裏切ったのは、地上に自分の王国を建設し、人間に神を裏切らせて、代わりに自分に従わせたかったからである。……大天使はそのようにして神の権威を超越し、神を裏切ろうと考えた。後に大天使は多くの天使たちに神を裏切らせ、それが汚れた霊となった。」『言葉は肉において現れる』の「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」より
あなたが正常な人間性を持つ生き方を達成し、全き者にされたら、預言や玄義について話すことができなくても、人間の姿を生き、表しているのである。神は人を造ったが、その後人はサタンによって堕落させられ、この堕落が人々を死人にしてしまった——したがってあなたが変われば、あなたは「死人」とは違うものになるだろう。人々の霊にいのちを与え、人々を再生させるのは神の言葉であり、霊が再生した時、人々は生かされる。死人について言及する時は、霊を持たない死体のこと、霊が死んでいる人々のことを指している。霊にいのちが与えられると、人々は生かされる。以前語られた聖者は生かされた人々、サタンの支配下にあったがサタンを打ち負かした人々のことだ。中国の選ばれた人々は、赤い大きな竜による非人道的な迫害や策略に耐えてきた。その結果、精神はひどく荒廃させられ、生きる勇気を少しも持たなくなった。したがって彼らの霊を目覚めさせるには彼らの本質から始めなければならない
人間の性質を変化させる最善の策は、人々の心の奥深くにある、酷く毒された部分を回復させ、人々が考え方や倫理の変化を始められるようにすることである。まず何より、神がそうした宗教的な儀式や活動、そして年月や祭祀を憎んでいることを、人々は明瞭に知る必要がある。人々はそうした封建的思考の束縛から解放され、自分に深く根ざした迷信的傾向を跡形もなく一掃する必要がある。これらのことはすべて人間の入りに含まれるものである。あなたがたは、神が俗世から人間を導き出すのはなぜか、規則や規制から遠ざけるのはなぜかを理解する必要がある。これが、あなたがたが入る門である。これらの事柄はあなたがたの霊的経験と無関係でありながら、あなたがたの入りを妨げ、神を知ることを阻む最大の障害である。
数千年に亘る神の計画の中にある肉による働きは二つの部分から成る。ひとつは十字架に付けられることであり、これにより神が栄光を受けた。もう一つは終わりの日の征服と完全にするための働きであり、それによっても神が栄光を受ける。これが神の経営である。ゆえに神の働きや神があなた方に託したことをあまり簡単に考えてはならない。あなた方は、あなた方が思うものを遥かに超越した、神の、永遠で重大な栄光の継承者であり、神がそう定めたのである。神の栄光の二つの部分のうち、一つはあなた方の中に現れている。神の栄光の一つの部分すべてがあなた方に授けられており、あなた方が継承する。これは神が引き上げたのであり、遥か昔に定められた神の計画である。大きな赤い竜が住む地において神が偉大な働きを行ったことを考えれば、その働きをどこか別の地で行えば、とうの昔にすばらしい実を結んでおり、容易に人に受け入れられていただろう。神を信じる西洋の聖職者たちにとっては、そのような働きを受け入れることはいとも簡単なことだっただろう。
神の経営は人間には深遠に思えるだろうが、理解不可能なものではない。神の働きはすべて、神の経営に関係しており、人間の救いの働きに関係しており、人間の生命、生活、終着点に関わっているのだから。神が人間の間で、そして人間に対してする働きは、まことに実際的で、意義深いものだと言える。それは人間が目で見、経験できるものであり、抽象的なものではまったくない。神のする働きすべてを受け入れることができないなら、この働きにどんな意味があるというのか。また、どうしてそうした経営が人間の救いにつながるのか。
クリスチャンの証し 2020「誠実な人間になるための奮闘」日本語字幕
甄誠は、家電修理店の経営者。正直かつ誠実に商売を営んでいたものの、毎月の売り上げに苦しんでいます。妻からは不平を、妻の弟からは皮肉を言われて疲れた甄誠は、世間の風潮にも影響されて次第に自身の倫理観を曲げていきます。そしていかがわしい手口で稼ぎ、快適な生活を送り始めるのでした。しかし全能神への信仰を得てからは、神の御言葉から神が誠実な人を好まれることを知り、この神の要求に甄誠の心が揺れます。でも誠実な人間になれば儲けが減り、借金を背負って店を失うかもしれない。そんな葛藤を幾度か経験し甄誠は、最終的に何を選ぶのでしょうか。『誠実な人間になるための奮闘』で確かめてみましょう。
人々は長いこと神の存在を信じてきたが、ほとんどの人は「神」という言葉を理解していない。単にぼんやりと後について行くだけである。彼らは一体なぜ神を信じるべきなのか、あるいは一体神とは何かについてまったくわかっていない。人々が神を信じ、従うことだけは知っていても、神が何かを知らなければ、そしてまた神を理解していなければ、これは世界最大の笑い話ではないだろうか。たとえ人々が今までに多くの天の奥義を目撃しており、これまで決して把握していなかったたくさんの深遠な知識について聞いていたとしても、最も初歩的だが、いまだ熟慮されていない多くの真理に関しては何も知らない。「私たちは何年にもわたり神を信じてきた。神が何かわからないわけがない。私たちを見くびっているのではないか」と一部の人は言うだろう。しかし実際には、今日誰もがわたしに従っているものの、誰もこの現在の働きを何も理解していない。彼らはもっとも単純で、もっとも簡単な問題でさえ構わずにいるのだから、「神」というこのもっとも複雑な問題は言うまでもない
わたしの前で仕えるわが民はみな、過去を思い返すべきである。あなたがたの、わたしへの愛は、不純なもので穢されていなかったか。あなたがたの、わたしへの忠誠は純粋で心からのものだったか。あなたがたの、わたしについての認識は真実であったか。あなたがたの心のどれほどの場所をわたしは占めているだろう。わたしはそのすべてを満たしているか。わたしの言葉のどれほどが、あなたがたの中で実現されているか。わたしを侮ってはいけない。わたしはこれらのことをすべて見通しているのだから。今日、わたしの救いの声が発された時、あなたがたの内にわたしに対する愛がいくらか増しただろうか。あなたがたの忠誠の一部が純粋になっただろうか。あなたがたのわたしについての認識は深まっただろうか。過去のたたえは、今日の認識の堅固な土台になっているだろうか。あなたがたの内のどれほどをわたしの霊が占めているだろう。わたしの姿は、あなたがたの内のどれほどの場所を占めているだろう。