このパンデミックが世界中に広がるにつれ、大災害が迫るのを多くの人が感じています。人々はパニックに陥り、自主隔離して自宅にこもる以外はどうすればいいかわかりません。パンデミックから身を守る方法も、大災害から逃れる方法もわからないのです。主イエスは昔こう預言しました。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起こり……」(ルカによる福音書 21:10–11)パンデミックやその他の災害は全て、神の許可があって起こります。神はそれらを用いて人類に警告を与え、一刻も早く悔い改めなくてはならないと告げているのです。しかし、真の悔い改めとは何でしょうか? 多くの信者たちは、より熱心に主に祈って懺悔することが真の悔い改めであり、そうすれば神が大災害から救ってくれると思っています。しかし本当にそうなのでしょうか? この漫才『パンデミックに直面して』をご覧になり、私たちがこれらの災害に直面した際、いかにして心から神に悔い改めるべきかを突き止めてください。
聖書は旧約・新約聖書とも呼ばれる。あなたがたは「約」の意味を知っているだろうか。「旧約」の「約」は、ヤーウェがエジプト人を殺し、イスラエル人をパロから救ったときの、ヤーウェとイスラエルの民との契約に由来する。もちろん、この契約の証しは鴨居につけた子羊の血であり、神はそれをもって人間との契約を立てた。この契約は、戸枠のてっぺんと両側に子羊の血がついた家の者はみなイスラエル人で、彼らは神の選民であり、ヤーウェは彼らを見逃す(このとき、ヤーウェはエジプト人の初子および羊と牛の初子をみな殺そうとしていた)という内容だった。この契約には二重の意味がある。まず、ヤーウェはエジプトの民や家畜を一切救わず、男の初子および羊と牛の初子を残らず殺す。そのため多くの預言書の中で、エジプト人はヤーウェの契約のために厳しく罰せられると預言された。
キリスト教映画「終電に乗る」抜粋シーン(3 )主が再来される時の働きの方式
終わりの日において、主イエスは肉となってお戻りになり、真理を表されて神様の家から始まる裁きの働きをなさってきました。しかし主を信じる多くの兄弟姉妹が、ヤーウェ神は旧約聖書における霊として働きをなさったとか、神様は終わりの日に受肉なさる必要がなく、霊の形で働きをお続けになるとか信じています。受肉した神様の働きと霊の働きとの違いは何でしょうか。
キリスト教映画「敬虔の奥義」抜粋シーン(1)人の子の到来の奥義
主の再臨について、主イエスはこう仰せられた、「あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(ルカによる福音書12 : 40)「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカによる福音書17 : 24-25)これらの預言は「人の子が来る」や「人の子の到来」に言及しているが、「人の子の到来」とは正確に何を意味しているのか?主イエスはどのように再臨をなされるのか?この短い動画が真理を明らかにする。
人は信仰という不確かな言葉だけは知っているが、人は何が信仰を構成しているかを知らないし、ましてやなぜ信仰を持っているのかも知らない。人はあまりにも少ししか理解していないし、あまりにも欠乏している。人はあまり考えず知識もないままわたしに信仰を持っている。人は信仰とは何かもなぜわたしを信仰しているのかも知らないけれど、執拗にわたしを信仰し続けている。わたしが人に求めることは、ただ単に人がこのように執拗にわたしを求めたりすることだけでもなく、気まぐれにわたしを信じたりすることだけでもない。
数千年もの間、人は救い主の到来に立ち会えることを熱望してきた。何千年もイエスを切望し、渇望してきた人々のもとにイエスが白い雲に乗って直接降りてくるのを見ることを望んできた。救い主が戻って来て人々と再会すること、すなわち、救い主イエスが何千年もの間離れていた人々のもとに戻ってくることを望んできた。そしてイエスがユダヤ人の間で行った贖罪の働きをもう一度実行すること、人に対して憐れみ深く愛情にあふれていること、人の罪を赦し、人の罪を負い、人のすべての逸脱さえ引き受け、人を罪から救うことを望んでいる。
[東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。
終わりの日に救い主が到来する時、まだイエスと呼ばれていたら、そしてもう一度ユダヤで生まれ、そこで働きを行ったら、これはわたしがイスラエルの人々だけを造り、イスラエルの人々だけを救済し、異邦人とは関係がないことの証明になるだろう。これは「わたしは天と地、すべてのものを作った主である」というわたしの言葉と矛盾しないだろうか。わたしはユダヤを離れ、異邦人のもとで働きを行う。なぜならわたしはイスラエルの人々の神というだけでなく、すべての創造物の神だからである。わたしは終りの日には異邦人のもとに現れる。なぜならわたしはヤーウェ、つまりイスラエルの人々の神であるだけでなく、さらに、異邦人の中でわたしが選んだ者すべての創造主だからである。
ヤーウェ」はわたしがイスラエルで働きを行っている間に用いた名前であり、人を哀れみ、人をののしり、人の人生を導くことのできる、イスラエル人(神に選ばれた人々)の神という意味である。それは偉大な力を所有し、英知に満ちた神という意味である。「イエス」はインマヌエルであり、愛に満ち、慈悲心に満ち、人の罪を贖う捧げものを意味する。イエスは恵みの時代の働きを行い、恵みの時代を表すので、経営(救いの)計画の一部分しか表すことはできない。すなわち、ヤーウェだけがイスラエルの選ばれた人々の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、モーセの神、イスラエルのすべての人々の神である。そこで現代、すべてのイスラエル人は、ユダヤの部族は別として、ヤーウェを崇拝している。
主イエスはこう言われました「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」(ヨハネによる福音書10:27)。主は戻られた時に、間違いなく羊を探し出すつもりでおられます。主を待ち望むキリスト教徒にとって肝心なのは、主の御声を探し求め聞くということです。でもどうすれば主の声がわかるのでしょうか?神様と人間の声の違いは何でしょう?