人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた本性は取り除かれていなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるのにふさわしくなる前に変化を経なければならない。この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。人は言葉による裁きと刑罰を通じて神のものとされる。
キリスト教徒チェン・イーシンは主を長年信じ、終わりの日の主イエス・全能神をお迎えする幸運に恵まれていた。彼女は全能神の御言葉から、人類を一刻も早く救いたい神の御心と、被造物が果たすべく使命と責任を理解したため、福音を伝えて終わりの日の神の働きを証し始めた。その間、多くの都市や省に渡り、何度も宗教界からの抑圧と拒絶や中共政府による追跡と迫害に見舞われる。多くの苦難に遭う彼女だが、神の御言葉の導きの下、使命を背負い続け、危険を恐れず勇敢に前進する。
チェン・グァンは教会の指導者。自身の指導者、同労者、兄弟姉妹たちから認められ評価されようと、休むことなく教会の仕事に打ち込み、兄弟姉妹を支え助けます。その努力はいくらか結果も生みますが、いつのまにか彼は集会での説教で自分を誇示するようになり、注目を浴びようとするようになります。そしてこの振る舞いによって新参者の兄弟姉妹からたたえられ、あがめられるようになり、知らないうちに誤った道に足を踏み入れてしまうのでした。そんなある日、同労者から厳しく取り扱われたチェン・グァンは、ようやく自らを反省し始めます……。最終的に、彼はどうやって誤った道を歩んでいることに気づき、正しい道に戻るのでしょうか。どんな適切な実践の道を見つけるのでしょう?
あなたがたの忠誠心は言葉の中のみにあり、あなたがたの認識は知性と観念のみであり、あなたがたの労働は天国の祝福を受けるためのものであるが、それではあなたがたの信仰はどのようなものでなければならないか。今日なお、あなたがたはありとあらゆる真理の言葉に対し、耳を貸そうとしない。あなたがたは神が何かを知らない。あなたがたはキリストが何かを知らない。あなたがたはヤーウェを畏れる方法を知らない。どうすれば聖霊の働きに入ることができるのかを知らない。あなたがたは神自身の働きと人の策略の間の区別の仕方を知らない。あなたがたはただ、あなたがたの思いに沿わない、神が表明した真理の言葉を非難することだけを知っている。あなたの謙虚さはどこにあるのか。あなたの従順はどこにあるのか。あなたの忠誠心はどこにあるのか。真理を求める気持ちはどこにあるのか。あなたの神への畏敬はどこにあるのか。わたしはあなたがたに言う。
受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知らない。神は人間を一人一人裁きはしないし、一人ずつ試みもしない。それは裁きの働きではない。堕落はすべての人間に共通しているのではないか。人間の本質は、みな同じなのではないか。裁かれるのは人間の堕落した本質、サタンのせいで堕落した人間の本質、そして人間の罪全部である。神は人間の些細で無意味な過ちを裁かない。裁きの働きは代表によるもので、特に誰かのために行うものではない。そうではなくて、この働きでは、一群の人々が人類を代表して裁きを受けるのである。受肉した神が自ら一群の人々に働きかけ、全人類に施す働きを代理的に行うと、その後、それが徐々に広まる。裁きの働きも、そのように行われる。神は特定の人や特定の人の集団を裁くのではなく、全人類の不義を裁く──例えば、神への敵対、神に対する不遜、神の働きの妨害等。
今日、神はあなたがたを裁き、あなたがたを罰し、あなたがたを罪に定めるが、罪に定めることの要点はあなたが自分を知るためであることを知らなければならない。神は罪に定め、のろい、裁き、刑罰を与えるが、これはあなたが自分を知るため、あなたの性質が変わるためである。そしてさらに、あなたが自分の価値を知り、神の行動はすべて義であり、それは神の性質と神の働きが要求することに適っていること、神は人を救う計画に従って働くこと、神は人を愛し、救い、裁き、罰する義なる神であることを理解するためである。もしあなたが、自分は地位が低く、堕落して、不従順であることだけを知り、神が今日あなたに行う裁きや刑罰を通して救いを明らかにしようと望んでいることを知らないならば、あなたは経験を得るすべがなく、ましてや前に進み続けることはできない。神は人を殺したり、滅ぼしたりするためにではなく、裁き、のろい、罰し、救うために来た。
「何と不思議なことだろうか。神の受肉が人間により常に拒否され、非難されるのは何故だろうか。人間が神の受肉を全く理解しないのは何故だろうか。神が来た時期が誤っていたのであろうか。神が来た場所が誤っていたのであろうか。そうなるのは、人間の『署名』なしに神が独自に行動したためであろうか。人間の許可なく神が決意したことが原因だろうか。……人々は主の口から授けられた物を食べ、主の血を飲み、主が授けた恵みを享受する一方で、主に反抗した。なぜなら人々は自分にいのちを与えたのが誰かを知らなかったからである。最終的に、人間は主を十字架に架けたが、主は騒がなかった。現在も依然として主は黙している。人々は主の肉を食べ、主が人々のために作る食べ物を食べ、主が人々のために拓いた道を歩み、主の血を飲んでいる。しかし人間は依然として主を拒もうとし、実際に、自分にいのちを授けた神を敵とみなし、自分と同様の奴隷を天の父として扱う。人間は、そうした行動を取ることで、故意に神に反抗しているのではなかろうか。
自分自身の道を選びなさい
真理を拒んだり聖霊を冒瀆せずに
無知にならないで、傲慢にならないで
聖霊の導きに従いなさい
イエスの再臨は
真理を受け入れる全ての人にとって
大いなる救いだ
イエスの再臨は
真理を受け入れられない人を罪に定める
Oh…
終わりの日は既に来ており、多くの信者たちは、主が再臨し天国へ連れて行ってくれることを強く願っています。しかし、主が再来されても、どのように私たちの前に現れるのか知っていますか?想像した通りに、雲に乗って降りて来て、私達の目の前に公然と現われるのでしょうか?全能神は言われます。「あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語った言葉を聞きたいか…イエスはどのように来るのか。あなたがたはイエスが白い雲の上に再臨すると信じているが、わたしはあなたがたに問う。
ゴスペル キリスト教映画「呪縛を解く」抜粋シーン(2)主が再臨した時、人の前にどのように現れるのか
終わりの日は既に来ており、多くの信者たちは、主が再臨し天国へ連れて行ってくれることを強く願っています。しかし、主が再来されても、どのように私たちの前に現れるのか知っていますか?想像した通りに、雲に乗って降りて来て、私達の目の前に公然と現われるのでしょうか?全能神は言われます。「あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語った言葉を聞きたいか…イエスはどのように来るのか。あなたがたはイエスが白い雲の上に再臨すると信じているが、わたしはあなたがたに問う。この白い雲とは何を意味しているのか。イエスの再臨を待つ多くの信者がいる中、どの人々のところにイエスは降臨するのか。」「天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることである…それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人がしるしを見る前、真理の現れだけがある時に終わる。」(『言葉は肉におい