キリスト教映画「足枷を解いて走れ」抜粋シーン(2)聖書に書かれたことはすべて神の御言葉なのか
主を信仰する多くの人と同じく、李長老も常にこう思ってきました。「聖書に書かれていることはすべて神様の霊感を受けた導きによるもの」であり、「聖書は神の御言葉」、「聖書は神様の代弁者」であると。こうした考えが、長年彼の信仰の根本となっていました。こうした考えは彼の心に深く根ざし、真の道を学ぶ障害とも、真の道の受け入れを阻む縛りともなっていました。全能神の伝道者達が根気よく李長老に神の御言葉を読み伝え、真理について交流するうちに、彼はようやく、聖書に書かれていることのすべてが神様の導きによるものではなく、神様の言葉も人の言葉も書かれているのだということを理解しました。長老はいまや、こうした宗教的な概念の縛りや拘束から解き放たれたのです。
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