カテゴリ:神を信じる



日々の神の御言葉 · 10日 10月 2020
神の実際の言葉を飲み食いすると同時に、神の言葉を熟考し、神の言葉について祈ることが、神の前で静まることの第一歩である。神の前で真に静まることができるなら、聖霊の啓きと照らしがあなたと共にあるだろう。すべての霊的生活は、神の前で静まることによって達成される。聖霊によって感動することができるためには、まず祈りにおいて神の前で静まらなければならない。神の言葉を飲み食いする際に神の前で静まることによって、啓きと照らしを受け、神の言葉を真に理解することが可能になる。通常の黙想と交わりにおいて、また自分の心で神に近づく際、神の前で静まって初めて、あなたは神と本当に親しくなり

日々の神の御言葉 · 01日 9月 2020
人々は長いこと神の存在を信じてきたが、ほとんどの人は「神」という言葉を理解していない。単にぼんやりと後について行くだけである。彼らは一体なぜ神を信じるべきなのか、あるいは一体神とは何かについてまったくわかっていない。人々が神を信じ、従うことだけは知っていても、神が何かを知らなければ、そしてまた神を理解していなければ、これは世界最大の笑い話ではないだろうか。たとえ人々が今までに多くの天の奥義を目撃しており、これまで決して把握していなかったたくさんの深遠な知識について聞いていたとしても、最も初歩的だが、いまだ熟慮されていない多くの真理に関しては何も知らない。「私たちは何年にもわたり神を信じてきた。神が何かわからないわけがない。私たちを見くびっているのではないか」と一部の人は言うだろう。しかし実際には、今日誰もがわたしに従っているものの、誰もこの現在の働きを何も理解していない。彼らはもっとも単純で、もっとも簡単な問題でさえ構わずにいるのだから、「神」というこのもっとも複雑な問題は言うまでもない

日々の神の御言葉 · 29日 8月 2020
あなたが神を信じることにおいて、どのように神を知ればよいだろうか。あなたは、逸脱したり誤った考えを持つことなく、今日の神の言葉と働きに基づいて神を知るようにするべきであり、何よりまず最初に神の働きを知るべきである。これが神を知る基礎である。神の言葉の純粋な理解に欠けるこれらの誤った考えはみな宗教的な観念であり、逸脱や誤りの理解である。宗教家は、過去に受け入れた神の言葉を取って、今日の神の言葉と照合する技術に長けている。過去に聖霊により照らされたことにしがみついたまま今日の神に仕えようとするなら、あなたの奉仕は妨害をもたらし、あなたの行いは古いただの宗教儀式となってしまう。もしあなたが、神に仕える者は外から見てへりくだっていて辛抱強くなければならないと信じているとしたら、そしてもしあなたがそのような認識を今日実践しているとしたら、そのような認識は宗教的な観念であり、そのような行いは偽善的である